尾張国の守護代家臣から天下統一目前まで迫るが 関が原合戦後、滅亡する

織 田お だ


織田木瓜

織田木瓜

家系図

年 表

 1511年

織田信秀が誕生する

 1521年

津島を支配し勢力を拡大する

 1526年

信秀が家督を継ぐ

 1529年

松平清康の侵攻にあう

 1532年

小田井城の織田藤左衛門と争う

 1534年

織田信長が誕生する

 1535年

守山城が松平清康に侵攻されるが清康が暗殺される

 1538年

今川氏豊の那古野城を略奪し居城とし、勢力を拡大する

 1539年

古渡城を築城し熱田を支配する

 1540年

三河の安祥城を攻略

 1542年

第一次小豆坂の戦いが勃発

 1544年

加納口の戦いで大敗する

 1547年

岡崎城を攻めて松平広忠を降伏させる

 1548年

末森城を築城する
織田信清と寛貞 を従軍させる
斎藤・今川と手を結んだ松平広忠が挙兵
第二次小豆坂の戦いで敗北
斎藤氏と和睦

 1549年

信長と濃姫が婚姻する

 1550年

安祥城が落城し織田信広(信秀の庶子)が捕らわれる
信広と竹千代(徳川家康)の人質交換
西三河での勢力を失う

 1552年

織田信秀死没
家督を信長が継ぐ

 1557年

信長の嫡男・信忠が誕生する

 1558年

織田信雄が誕生

 1560年

桶狭間の戦いで今川義元を破る

 1565年

織田信清を破り尾張統一

 1567年

斎藤氏を破り美濃を制圧

 1568年

上洛し室町幕府を再興する

 1570年

姉川の戦いで朝倉・浅井を破る

 1571年

比叡山焼き討ち
三方ヶ原の戦い

 1573年

足利義昭を京都から追放する
浅井・朝倉・三好を滅ぼす

 1575年

長篠の戦いで武田家に大勝する

 1577年

松永久秀・荒木村重が離反

 1580年

石山合戦が決着する
信忠の嫡男・秀信が誕生する

 1582年

甲州征伐が行い武田家を滅亡させる。
本能寺の変により信長・信忠が死没
清洲会議により秀信が家督を継ぐ

 1582年

信雄の嫡男・秀雄が誕生

 1584年

秀信の代わりに信雄が織田家を相続し豊臣家に従う

 1590年

小田原征伐に従軍
戦後の論功賞で移封命令を拒否し改易し、秀雄が越前国大野郡5万石の大名として家督を継ぐ

 1600年

関ヶ原合戦で西軍に属し改易される

家 紋

笹竜胆

笹竜胆

出 自

各種系図によれば、平重盛の子である資盛の子と自称する「親真」に始まるとされている、すなわち平姓である。しかしこれは信長が仕立てあげたものだと言われており、信長以前の織田氏は藤原製で通しており、鎮守府将軍・藤原利仁の系統と思われる藤原信昌、藤原兵庫助将広父子が越前織田家の先祖に関連がある人物と伝わっている。
子の他に越前国織田荘(福井県丹生郡越前町)の織田剣神社の神官の出自であるともされている。

概 要

 織田家は元々尾張国の守護代の重臣に過ぎませんでした、しかし清洲織田氏の三奉行の一つ、織田弾正忠家の織田良信・信定父子が急速に勢力を伸ばすと、信定の息子・織田信秀が家督を継ぐ頃には主家を凌ぐ力をつけていました。そして、信秀の子・織田信長の時代になると織田家の内紛を鎮める一方で他の織田家を滅ぼし、後に守護である斯波氏をも追放し、尾張国を統一します。

 信長はその後、美濃や伊勢に勢力を伸ばし、将軍・足利義昭を擁立すると義昭と連携し中央政権としての影響力を誇示します
だが、義昭はやがて独自性を強め、近江国の浅井長政や越前国の朝倉義景、さらに本願寺や甲斐国の武田信玄ら反信長勢力を迎合し信長に対抗します(信長包囲網)
 しかし、武田信玄が死去したのをきっかけに信長は反撃に転じ、反信長勢力を個々に撃破し、室町幕府を滅ぼし将軍・義昭を追放します。

その後も信長は家臣を各方面へ派兵して統一事業を進めるが、本能寺の変において家臣の明智光秀に攻められ自害。
 この際、信長の嫡男で織田氏の当主であった織田信忠も二条城で自刃したため、政権の中核となるべき人物を失った織田政権は崩壊し、関ヶ原合戦の祭に西軍に付いたため、織田家嫡流は断絶する。

戦国時代初期

 1510年頃守護代織田の三奉行として活躍した当主・織田信定は勢力を中島郡・海西郡と勢力を広げ津島(愛知県西部)を手中に収めるとここに居館を移して、この港から得た財源を使い、さらに織田家を拡大し織田家の基礎を確立した。この津島が織田家の経済力の根源であった。

 1527年織田信秀が家督を継ぐと織田信秀が家督を継ぐ頃には主家を凌ぐ力をつけていった。那古野城を奪い取り愛知郡に勢力を拡大すると、古渡城を築城し、2つめの経済的基盤熱田を支配した。
 また、多額の寄付を朝廷に献上し朝廷重視の政略をとった。

戦国時代中期

戦国時代の風雲児「織田信長」が家督を継ぐと尾張守護代を滅ぼし、弟の信行を排除し尾張を統一した。桶狭間の戦いで今川義元を破ると松平信康(徳川家康)と同盟を結んだ。
 その後、美濃や伊勢に勢力を伸ばすと足利義昭とともに上洛し室町幕府の再興を果たす。義昭が信長に対して反抗的な姿勢をみせ、近江国の浅井長政や越前国の朝倉義景、さらに本願寺や甲斐国の武田信玄ら反信長勢力を迎合し信長に対抗する。 かし、武田信玄が死去したのをきっかけに信長は反撃に転じ、反信長勢力を個々に撃破し、室町幕府を滅ぼし将軍・義昭を追放します。

 その後も信長は家臣を各方面へ派兵して統一事業を進めるが、本能寺の変において家臣の明智光秀に攻められ嫡男・信忠と共に自害する。

戦国時代後期

本能寺の変後、清洲会議により家督は信忠の嫡男・秀信が継いだが、小牧長久手の戦いが終わると豊臣秀吉の命により信長の子・信雄が家督を継ぎ以後豊臣秀吉に巨従しする。。しかし、信雄が小田原征伐後の移封に反攻をみせ、織田家は越前国大野郡の5万石まで減封される。
 その後の関ヶ原合戦でも信雄の嫡男・秀雄は西軍に属したため減封された。

主な本拠地

  • 清洲城【愛 知】

武 将 (名前クリックで詳細)

 織田信定
 ( ? -1538年)

織田信秀の父。尾張守護代・織田達勝配下で、「清洲三奉行」の一人。津島湊を支配し織田家の経済的基盤を築く。また勝幡城を築いて居城とし

 織田信秀
(1511 - 1552)

織田信長の父「尾張の虎」と呼ばれた猛将で、尾張統一を目指して近隣の今川家、斎藤家らと抗争を続けたが、流行病にかかり、急死しする。

 織田信長
(1534 - 1582)

信秀の嫡男。家督争いの混乱を収めた後に、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、勢力を拡大した。足利義昭を擁立し上洛し天下人となった。その後、重臣・明智光秀に謀反を起こされ自害した。

 織田信康
( ? - 1544)

織田信定の子で信秀の弟。犬山城を築城した人物として知られ、兄・信秀に従い今川との小豆坂の戦いなどで戦功をあげるが斉藤家との加納口の戦いで戦死する。