伊達氏と並び称された陸奥の大名

蘆名氏あしなし


丸に三引両

丸に三引両

家系図

年 表

家 紋

丸に三引両

丸に三引両

出 自

現在の三浦半島一帯に勢力を誇った。三浦義明の七男「義連」を初代としている。
蘆名の性は三浦半島の地名「芦名」にちなんでつけられており、「蘆名」の性を名乗ったのは義義連の孫の光盛の代になってからであると言われている。
会津に移り住んだ理由として、「源頼朝」の奥州合戦に従い陸奥国会津に所領を得たのが理由とされている。

概 要

戦国時代初期の蘆名家は伊達家と友好的な関係を結んでいました。現に伊達家と最上家の争いでは伊達家を援助しています。15代当主・盛氏の代になると会津の山内氏を滅ぼし、中通り(福島県の中央部)への進攻を始め蘆名言えの最盛期を迎える。しかし、盛氏の没後は後継者問題(盛氏には嫡男がいなかった)や家臣の統制に苦難し、蘆名家は衰退し始める。
盛氏亡き後は、二階堂氏から養子を迎え、周辺諸国と友好を保ち伊達氏に対抗しますが、家臣からの反発にあい、暗殺されてしまいます。その後家中で揉めた末、佐竹家から養子を迎え当主として据えますが、奥州統一を目指す「伊達政宗」に摺上原の戦いで大敗を期し蘆名家は伊達家に滅ぼされてしまいます。

武 将 (名前クリックで詳細)

蘆名盛高
 (1448-1518)

蘆名家13代当主。家督を継ぐと渋川氏を攻め滅ぼし会津領内の国人領主層と内戦を続けた。後に子の盛滋と不和になり蘆名家を2つに割る内乱となった。

蘆名盛滋
 (1482-1553)

14代当主。武勇に優れた人物で父・盛高と対立し敗れるが、後に和解し家督を継ぐ

蘆名盛舜
 (1490-1553)

15代当主。家中の反乱を鎮圧、安定させ戦国大名としての蘆名家の基盤を構築した人物

蘆名盛氏
 (1521-1580)

蘆名家16代当主。南奥州の勢力を次々と服属させ蘆名家を伊達家と並ぶ奥州屈指の大名に育て上げ、蘆名家の全盛期を作り上げた中興の祖。

蘆名盛興
 (1547-1574)

蘆名家17代当主。盛氏の嫡男。伊達稙宗の娘を嫁に迎える。父の隠居により家督を継ぐが、酒毒により早死にする。

蘆名(二階堂)盛隆
 (1561-1584)

蘆名家18代当主。二階堂盛義の子。蘆名盛興の未亡人を娶った。上杉・北条家らと結んで佐竹家と争った。寵の衰えを逆恨みした側近に黒川城内で殺された。

亀王丸
 (1584-1586)

蘆名家19代当主・蘆名盛隆の子として誕生。父・盛隆が暗殺されたため生後1ヶ月で家督を継ぐ。しかし、その後3歳で疱瘡で死没した。

蘆名(佐竹)義広
(1575-1631)

蘆名家20代当主。佐竹義重の次男。白河結城家の養子となるが、のち蘆名盛隆の娘を娶り蘆名家を継ぐ。摺上原で伊達政宗の軍に敗れ、故郷の常陸(佐竹家)に逃れた。

猪苗代盛国
 (1536-1590)

長男・盛胤の廃嫡を企むが発覚し、盛胤と争った。のちに主家に背いて伊達家に属し、摺上原合戦では先鋒を務めて蘆名軍と戦った。

猪苗代盛胤
 (1565-1641)

摺上原合戦で主家が敗れたあと、主君・盛重に従い常陸に逃れる。のちに盛重のもとを去って故郷の猪苗代に戻り、同地で余生を送った。