足利成氏の計らいで断絶した結城家を再興した13代当主

結城 成朝ゆうき しげとも

結城成朝

結城成朝(森戸果香筆)

  ポイント

  • 11代当主・結城氏朝の四男
  • 結城家を再興し鎌倉公方を庇護する
  • 家臣の多賀谷朝経によって暗殺される

誕生・死没

  • 誕生:1439年
  • 死没:1563年
  • 享年:24歳

同年代の人物

  • 戸田宗光

名 前

  • 重朝(初名)

所 属

官職・役職

  • 官位:中務大輔

親 族

  •  父 : 結城氏朝
  • 兄弟 : 結城持朝(兄)
  • 兄弟 : 結城朝兼(兄)
  • 兄弟 : 結城長朝(兄)
  •  子 : 海老原輝朝

略 歴

1439年 1歳  結城氏朝の四男として誕生
 
1449年 11歳  鎌倉公方が再興される
兄・長朝との家督継承を巡ってあらそいこれに勝利する(結城氏再興)
 
1454年 16歳  家臣・多賀谷朝経が上杉憲忠を殺害(享徳の乱)
 
1460年 22歳  幕府との関係が修復
 
1563年 24歳  多賀谷朝経によって暗殺される

概 要

氏朝の四男で下総結城氏13代当主。
結城合戦で父・兄が戦死し結城家が断絶すると。成朝は佐竹家へ落ち延びる。
 その後、鎌倉公方が再興すると足利成氏の計らいで結城家も再興した。1463年に家臣・多賀谷朝経によって暗殺される。

誕生と御家再興

1439年、結城家11代当主・結城氏朝の四男として誕生する。
1441年、に結城合戦で父や長兄・持朝ら一族の多くが戦死した際すると、幼児であった成朝は乳母の手によって室町幕府の追跡から逃れて常陸国の佐竹氏の許へ落ち延びた。
 その後、足利成氏が5代・鎌倉公方となって鎌倉府が再府すると、成氏によって結城氏の再興も許されることとなる。
 この際、兄・長朝も家督継承に名乗りを上げたが、重朝はこれを打ち破って家督を継ぎ、成氏より偏諱を受けて「成朝」と改名した。

享徳の乱

1455年、結城成朝は足利成氏の命を受け、家臣の多賀谷氏家・高経兄弟に関東管領・上杉憲忠の暗殺させると「享徳の乱」が勃発する。
 成朝は首謀者の足利成氏が幕府から追討を受けて鎌倉を追われた時、これを保護している。
ちなみに、この時の戦功により上杉憲忠を暗殺した高経は成朝の1字を与えられて「朝経」と改名している。

最 期

足利公方側についていた成朝だが、1460年頃から次第に幕府と内通するようになる。
すると、1463年、今度は家臣であるはずの多賀谷朝経に暗殺されていまう。これは、憲忠の仇討ちを願う上杉氏一族に引き渡される事を恐れたことによる犯行であった。享年24だった。