鳥居元忠の弟。三方ヶ原の戦いで戦死する
鳥居 忠広
概 要
鳥居忠吉の四男で鳥居元忠の弟。松平広忠・徳川家康の2代に仕える。
三河一向一揆に参加し家康と敵対するが後に帰参する。三方ヶ原の戦いで、武田家臣・土屋昌続と一騎打ちの末、討ち取られた。
ポイント
- 鳥居忠吉の四男。鳥居元忠の弟
- 徳川十六神将の一人
- 三河一向一揆に参加し徳川家康と敵対する
- 三方ヶ原の戦いで、武田家臣・土屋昌続と一騎打ちの末、討ち取られた。
誕生・死没
- 誕生:????年
- 死没:1573年
- 享年:?歳
- 死因:戦死
名 前
- 通称: 四郎左衛門
所 属
略 歴
1563年 | ?歳 | 三河一向一揆に参戦 |
1564年 | ?歳 | 徳川家に帰参 |
1570年 | ?歳 | 姉川の戦いに参陣 |
1573年 | ?歳 | 三方ヶ原の戦いで戦死 |
鳥居家とは
出自は紀伊国熊野権現の神職の家柄
鳥居家の祖である熊野新宮第19代別当行範(重氏)は平清盛から平氏の姓を賜り平氏と称し、通称「鳥居法眼」と呼ばれた。承久の乱以降の行忠の代には、三河国矢作庄に移り、土着して忠氏と改名したと伝わる。
生 涯
誕 生
生年については分かっていないが、鳥居忠吉の四男として誕生。弟には伏見城の戦いで壮絶な死を遂げた鳥居元忠がいる。
松平広忠・家康に仕えた。
家康と敵対
三河物語によると、三河一向一揆に参加して徳川家康と敵対したが、一揆終息後は帰参した。
家康の家臣としての活動
姉川の戦い
兄の元忠同様に武勇に優れ、徳川十六神将の一人として数えられていた。
姉川の戦いでは徳川軍の先鋒を務めた。軍監(部隊指揮官)として働くことも多かったと言われている。
最 後
徳川軍が大敗すると、新井本坂で殿軍を務めたが武田二十四将の一人、土屋昌続と一騎打ちの末、討ち取られた。
子孫は小田原藩大久保氏の家臣となって存続した。