外交戦略に優れた、田村家24代当主

田村 隆顕たむら たかあき

田村義顕・隆顕・清顕 田村三代の墓

引用:福島県の歴史的人物の御墓さまより

  ポイント

  • 外交戦略に優れた武将
  • 天文の乱では舅・稙宗側に属す
  • 佐竹義重・石川昭光の連合軍を撃退する。

誕生・死没

  • 誕生:不 明
  • 死没:1574年?
  • 享年:?歳

名 前

  • 特になし

官職・役職

  • 不明

親 族

  •  父 : 田村義顕
  •  母 : 不 明
  • 正室 : 伊達稙宗の娘
  • 兄弟 : 田村顕盛
  • 兄弟 : 田村行顕
  •  子 : 田村清顕
  •  子 : 田村氏頭
  •  子 : 石川稙光室

略 歴

1532年…父・義顕が隠居したため、家督を継ぐ
 
1541年…安積郡の伊東氏を攻めるが、伊東氏の援軍として伊達氏が田村領に侵略する(伊達家に従属)
 
1549年…嫡男・清顕をと相馬顕胤の娘を痕跡させる。さらに伊達氏への従属関係を白紙化し独立する。
1560年…佐竹氏と同盟を結び、会津の蘆名家を攻める。
 
1572年…蘆名氏と同盟を結び、佐竹軍の侵攻を撃退する。
 
1586年…死去

概 要

陸奥の豪族である田村家24代当主。三春城主。伊達稙宗の娘を娶る。伊達家の内紛(天文の大乱)の際は舅・稙宗に与力した。佐竹義重・石川昭光の連合軍を破ったのちに急逝した。

伊達家へ従属

隆顕の時代、田村氏は相馬氏、岩城氏、佐竹氏、蘆名氏などの諸大名に囲まれて苦しい立場にあった。
1541年に隆顕が宿敵である安積郡(福島県の中央部)の伊東氏を攻めるが、伊東氏を援軍として伊達氏が参入してきた。隆顕は伊達稙宗の娘を室として迎えていたことから、同じ娘婿である相馬顕胤が仲介に入る形で伊達氏と和睦した。また、このときに領地の一部を献上する代わりに伊達氏の従属下に入り、伊達氏もまた田村氏のために軍事的支援を惜しまないことを約束した。

天文の乱

伊達家中で内乱(天文の乱)が勃発すると、隆顕は養父であった稙宗方についた。
しかし、1547年に晴宗派の工作によって家中で反乱が起こるなど混乱を招いたほか、隆顕が稙宗と晴宗の和睦を図っているが失敗に終わっている。

伊達家からの独立

天文の乱の最中、同じ稙宗派であった会津の蘆名盛氏と不和が生じ、蘆名盛氏が晴宗派に転じ、天文の乱が終結した。
1549年には稙宗派であった相馬顕胤の娘を自身の嫡男・清顕の正室として迎え相馬家との関係を強化し天文の乱で衰退した伊達氏からの従属関係を解消し田村家は独立したする形となった。

外交上手

隆顕は外交戦略に優れた人物であったといわれている。
伊達氏だけではなく、1560年には佐竹氏と手を結んで蘆名氏を攻めたかと思えば、1572年に佐竹氏が攻めて来ると蘆名氏と手を結んで撃退するなどしている。戦況によって同盟相手を変更する小領主ながら優れた武将だった。