伊達家との関係を強化し戦国時代を生き抜いた

田村 清顕たむら きよあき

田村清顕の墓 提供元:白石商工会議

  ポイント

  • 田村家25代当主
  • 伊達家との関係を強化する
  • 伊達政宗の正室・愛姫の父親
  • 死没後家督争いが勃発する

誕生・死没

  • 誕生:不 明
  • 死没:1586年
  • 享年:不 明

名 前

  • 不 明

所 属

官職・役職

  • 不 明

親 族

  •  父 : 田村隆顕
  •  母 : 伊達稙宗の娘
  • 正室 :相馬顕胤娘・於北
  • 兄弟 :田村氏顕
  • 兄弟 :石川稙光の正室
  •  子 : 愛姫(伊達政宗の正室)
  •  子 : 田村宗顕(田村氏顕からの養子)

略 歴

1571年…一人娘の愛姫を伊達政宗に嫁がせる
 
1574年…伊達家に従属する
 
1583年…佐竹義重と共に伊達輝宗と相馬義胤との調停を実現させる
 
1586年…死 去

生い立ち

田村隆顕の嫡男として誕生。父同様に英明な武将として知られ、父の死後、その跡を継ぎ当主となる。

伊達氏との関係強化

当時の田村氏は隣接する二階堂氏やそれと同盟を結ぶ蘆名、佐竹といった諸勢力に挟まれていた。
清顕は伊達氏との関係強化図ることで周辺諸国からの圧力を跳ね返そうと考えた。
そして1579年に一人娘の「愛姫」を伊達政宗に嫁がた。以後、陸奥地方は伊達、田村連合と二階堂・蘆名・佐竹らの二大勢力が派遣を争う形となる。

清顕の死没後

清顕には愛姫以外に子供ができなかったため、天正14年(1586年)に清顕が没するとその後釜をめぐって田村家中、及び伊達家と相馬家の間で再び争いが起きた。その後、伊達政宗により、清顕の弟・氏顕の子である宗顕が後継とされた。

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