大崎家11代当主で最後の奥州探題
天分の乱では、伊達家から養嗣子で入った義宣を討つ

大崎 義直おおさき よしなお

大崎義直の墓

大崎義直の墓
画像元:日本全国歴史的人物の墓を巡る旅 様

  ポイント

  • 大崎家11代当主で大崎氏最後の奥州探題
  • 内乱鎮圧のため、伊達家に従軍する
  • 天分の乱で勝利し、伊達家からの養嗣子・義宣を追放・暗殺する

誕生・死没

  • 誕生:1506年?
  • 死没:1577年
  • 享年:71歳

名 前

  • 彦三郎(別名)
  • 義国(初名)

所 属

官職・役職

  • 官位:従五位上、左京大夫
  • 役職:室町幕府奥州探題

親 族

  •  父 : 大崎義兼
  • 兄弟 : 大崎高兼
  • 兄弟 : 黒川晴氏 正室
  •  子 :大崎義隆
  •  子 :黒川義康
  •  子 :最上義光 正室(釈妙英)

略 歴

1507年…大崎家9代当主・大崎義兼の次男として生まれる
 
1530年…実兄・大崎高兼が死去したため、家督を継ぐ
 
1536年…国内で反乱が起き、鎮圧のため伊達家に従属する。
 
1542年…伊達家で「天分の乱」発生。稙宗方についた義宣(伊達家からの養子)を討つため、晴宗側に付く
 
1545年…従五位下、左京大夫に任官する(代々の大崎氏当主が任じられた官)
 
1548年…天分の乱が晴宗側の勝利によって終結する。
 
1550年…稙宗に味方した養子の義宣を暗殺する。
 
1567年…隠居し家督を嫡男・義隆に譲る。
 
1577年…死去

家督相続と伊達家への従属

1530年に兄である大崎高兼が早世すると、高兼に嫡男(女子は居た)が居なかったため家督を弟である義直が継ぐと、その6年後に配下の氏家直継・古川持煕・新井田頼遠らが反乱を起こした。(天分の内乱)一度は内乱を終結させたが、1539年、1541年にも内乱が勃発し自力で終結できなかった義直は伊達稙宗に援軍を要請し、その代償としてと稙宗の子大崎義宣と大崎高兼の娘(梅香姫)で縁戚関係を築き義宣を養子として受け入れた。これは、実質的に伊達家へ従属したという事だ。

天分の乱

伊達氏のお家騒動である天文の乱が勃発すると、稙宗方に付いた義宣を討つため、義直は稙宗の子・晴宗方に付いた。乱は晴宗方の勝利に終わるや、天文19年(1550年)に義宣を討ち取った。これにより、伊達氏へ吸収合併されることは免れたものの、従属状態から脱却して勢力を回復させるまでには至らなかった。

官位授与とその後

義直は1545年に従五位下、左京大夫に任官した、これは代々の大崎氏当主が任じられた官である。1567年になると嫡男・義隆が家臣に所領安堵の文書を相継いで発給しており、この頃に家督を継いだと思われる。
そして1577年に死去した。

参考資料(引用元)