小田氏12代当主
享徳の乱では古河公方として活動する

小田 成治おだ しげはる

小田城跡

小田城跡

  ポイント

  • 小田氏13代当主
  • 享徳の乱では古河公方に従い活動する
  • 長享の乱においては扇谷上杉家方として活動しする

誕生・死没

  • 誕生:1449年
  • 死没:1514年
  • 享年:64歳

名 前

  • 亀房丸(幼名)

所 属

官職・役職

  • 官位: 従四位上、左近衛中将、安房守、左衛門督
  • 幕府: 奥州探題

親 族

  • 実父 : 小田朝久
  •  母  : 菅谷貞次の娘
  •  子  : 小田治孝
  •  子  : 小田顕家(北条顕家)
  •  子  : 岡見義治
  •  子  : 女子(宇都宮成綱側室)
  •  子  : 女子(佐竹義篤正室)
  • 養子 : 小田政治(実子説あり)

略 歴

1449年… 常陸小田氏当主。 小田朝久の子として誕生する
 
1455年…父・朝久が戦死したため家督を継ぐ
享徳の乱勃発。古河公方に従い活動する
 
1487年…長享の乱勃発。扇谷上杉家方として活動する

生い立ち

1449年、小田朝久の嫡男として誕生す。
1455年に父・朝久が上杉房顕・長尾景仲らを討伐するために常陸小栗城を攻撃中、陣中で病に倒れると、成治が家督を継ぐことになる。
家督を継いだ成治だったが、まだ5、6歳と幼かったため、祖父の小田持家が養育・後見人として活動していた。

山内上杉家・扇谷上杉家と鎌倉公方・足利成氏と争い(享徳の乱)では古河公方に従い活動し、続く長享の乱においては扇谷上杉家方として活動した。

近隣の江戸氏や大掾氏、江戸崎土岐氏と抗争し勢力を保ったが、治世の後半は長子の治孝と次子の顕家との家督争いが勃発するなど振るわなかった。家督を継承した政治は成治の実子とも養子で足利政知の実子ともいわれる。

参考資料(引用元)

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