小田氏14代当主
勢力を拡大し小田氏の最盛期を築いた

小田 政治おだ まさはる

小田政治 肖像画

  ポイント

  • 堀越公方・足利政知の子
  • 小田成治の養子となる
  • 領土を拡大し小田氏の最盛期を築く

誕生・死没

  • 誕生:1492年
  • 死没:1548年
  • 享年:57歳

名 前

  • 亀若丸(幼名)
  • 長尹(別名)

所 属

官職・役職

  • 官位:従四位上、左近衛中将
  • 官位:従四位上、左京大夫

親 族

略 歴

1492年…堀越公方・足利政知の子として生まれる
その後小田氏の養子となる
 
1507年…永正の乱が勃発、足利高基を支持する
 
1514年…養父・成治の死去により家督を継ぐ
 
1531年…石岡の戦いで江戸氏を破る
 
1537年…多賀谷氏と同盟して結城政勝と戦ったが敗る
 
1545年…河越夜戦では足利晴氏に味方して敗れる(小田氏 の衰退の始まり)
 
1548年…57歳で死去

概 要

堀越公方・足利政知の子で、常陸の小田成治の養子となる。武将として優れた器量の持ち主とされ、古河公方や結城氏と争って勢力を拡大し、小田氏最大版図を築いた。
河越夜戦では古河公方に味方して北条氏康に大敗をきっした。以後小田氏の勢力は衰退していく。

出 生

1492年、堀越公方・足利政知の子として生まれる。
父の政知は前年に死去していたため、父の死後に生まれたことになる。また、室町幕府第11代将軍・足利義澄の弟に当たるとされる。
ただし、『小田事蹟』(農政学者・長島尉信が著した本)では小田氏第13代当主・小田成治の実子(三男)であるとしており、同時に政知の子の政氏と同人物や落胤ともする説がある。

永正の乱と家督相続

1507年の永正の乱では養父・成治とともに足利高基側についた。そのため、佐竹義舜、小山成長、岩城常隆・由隆、結城顕頼ら足利政氏を支持した戦国大名らと対立した。
その最中の1514年に、成治の死去により家督を継いで第14代当主となっている。
1518年に永正の乱が高基派の勝利に終わると、政治は関東南部で急激に勢力を拡大する後北条氏を危惧し、妹を佐竹義篤の妻にさせ、佐竹氏との関係強化を図った。

小田家最大版図の構築

1531年、石岡の戦いで江戸氏を破った。1537年には多賀谷氏と同盟して結城政勝と戦ったが敗れている。他にも古河公方足利家などと戦うなど、多方面で敵勢力と戦い、小田氏の勢力を拡大した。

小田家の衰退と最期

1545年の河越夜戦では足利晴氏に味方して敗れた。以降、政治の晩年ころから小田氏の衰退が始まった。
そして、1548年57歳で死去し、跡を嫡子の小田氏治が継いだ。

参考資料(引用元)