二階堂家7代当主
能吏的・文化的な大名であった

二階堂 盛義にかいどう もりよし

  ポイント

  • 二階堂氏7代当主
  • 吏的・文化的な大名であった
  • 蘆名家に長男を人質として送り傘下に下る

誕生・死没

  • 誕生:1544年
  • 死没:1581年
  • 享年:38歳

名 前

  • 行盛(別名)

所 属

官職・役職

  • 官位:信濃守

親 族

  •    父  : 二階堂照行
  •  正 室 : 伊達晴宗の娘・阿南姫
  •  兄 弟 : 大久保資近
  •    子  : 蘆名盛隆
  •    子  : 二階堂行親
  •    子  : 二階堂行久
  •    子  : 二階堂行栄
  •    子  : 岩城御前

略 歴

1544年…二階堂照行の子として生まれる
 
1458年…蘆名家や田村家と所領を巡って度々合戦を起こす
 
1566年…蘆名家に松山・横田城が落とされる
嫡男(のちの盛隆)を人質として差し出すことで蘆名氏の旗下に降る
 
1580年…御代田合戦で田村氏との戦いに勝利し、勢力を拡大した
 
1581年…死 去

概 要

二階堂照行の子として誕生。須賀川城を居城として陸奥岩瀬郡を支配していた。勇猛果敢な大名としてよりは能吏的・文化的な大名であったと伝えられる。
田村氏や蘆名家と所領を巡って度々争うが最終的には蘆名家へ傘下にはいり、田村家を破って勢力を拡大する。

蘆名家への巨従

1558年~1570年になると、会津四郡を支配する蘆名氏や、田村郡を支配する田村氏と所領をめぐって度々戦いを繰り広げたが、1566年2月に蘆名盛氏・盛興父子によって松山・横田両城を攻め落とされ、横田城主が生け捕りにされてしまう。盛義は嫡男(のちの盛隆)を人質として差し出すことで盛氏と和睦し、以後は蘆名氏の旗下に入った。

勢力拡大

蘆名家という後ろ盾を得た二階堂盛義は1580年、御代田合戦で田村氏との戦いに勝利し勢力を拡大することとなる。
一説によると、盛義はこの合戦の際に負傷したらしく、9月には突然温泉療養に向かっているという逸話がある。

参考資料(引用元)

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