上杉・武田・織田・北条に仕えた白井長尾家当主

長尾 憲景ながお のりかげ

長尾憲景が開いた金光山玄棟院春日寺
画像引用:Tigerdream の上州まったり紀行 様

概 要

白井長尾氏8代当主。上野国白井城主。武田信玄の侵攻により所領を失うと謙信の元へ逃れた。その後、謙信が死没し「御館の乱」が勃発すると上杉氏を離れ、武田・滝川・北条に仕えた。

 ポイント

  • 山内上杉家の重臣・白井長尾氏当主
  • 信玄に所領を追われ上杉家に仕える
  • 「御館の乱」後は武田・織田・北条に仕えた




誕生・死没

  • 誕生:1511年
  • 死没:1583年
  • 享年:72歳

名 前

  • 孫四郎(通称)
  • 景房(初名)
  • 市井斎(号)

官 位

  • 左衛門尉

親 族

長尾顕忠又は長尾顕景
養父  長尾景誠
正室 勅使河原左近将監娘
兄弟 景孝憲景景総
憲春、輝景景広

略 歴






出 自

実 父

憲景の実父については諸説あり、1番有力なのが総社長尾家当主・長尾顕忠、次に有力なのが総社長尾家の庶流・高津長尾家当主・長尾顕景がとされている。

白井長尾氏の養子へ

いずれの出自にせよ、憲景は白井長尾氏7代当主・長尾景誠の養子に入った。その後、景誠が家臣に討たれると、憲景は長野業正の介入により白井長尾氏の当主となった。
その後、主君・上杉憲政の偏諱を受けて景房から憲景と改名した。

上杉家の許へ逃亡

北条家により主家・山内上杉家が上杉謙信の許へ逃れてからしばらくたった1557年ごろから、武田信玄が西上野に侵攻を開始した。長野業正はこれに徹底抗戦するが業正が死没すると、信玄の攻撃は激化、1567年には憲景の所領白井も信玄の手に落ちた。
所領を失った憲景は上杉謙信の許へ逃れ、その後は謙信に従って各地を転戦した。
その後、

越相同盟

1569年に北条家と上杉家の越相同盟が成立すると、憲景は白井城に戻り旧領を回復した。
しかし、1572年、信玄の家臣・真田幸隆に白井城を奪われ憲景は八崎城(群馬県渋川市)に逃亡した。
このときに、憲景は家督を次男・輝景に譲ったとされている。

御館の乱とその後

1578年、上杉謙信が死没し、上杉家内で家督争い(御館の乱)が勃発すると、憲景は上杉景虎に属して敗れた。その後は上杉氏を離れて武田勝頼、滝川一益、北条氏に仕えた。

参考資料(引用元)

1511年 0歳  長尾顕忠又は長尾顕景の子として誕生
 
1546年 35歳  川越夜戦勃発
 
1557年 46歳  主君・憲政が越後入りする
 
1567年 56歳  武田信玄の侵攻により所領を失う
上杉謙信の元へ逃れる
 
1569年 58歳  越相同盟成立
白井城に戻る
 
1572年 61歳  真田幸隆に白井城を攻めれ八崎城(群馬県渋川市)に逃れる
家督を次男・輝景に譲る
 
1578年 67歳  謙信が病没
御館の乱で上杉景虎側に付くが敗れる
その後は武田・織田・北条に仕える
 
1583年 72歳  死没

戦国1000人