最上家11代当主。伊達政宗の叔父にあたる
最上家57万石の大大名に成長させた武勇に優れた武将

最上 義光もがみ よしあき

最上義光 像

最上義光 像

  ポイント

  • 最上家11代当主、最上家の全盛期を築く
  • 武勇に優れまた、調略により出羽国を手中に収める
  • 父・義守を隠居させ家督を継ぐ
  • 関が原合戦では、東軍に属し上杉軍を撃退し上杉領を攻め取る

誕生・死没

  • 誕生:1546年
  • 死没:1614年
  • 享年:69歳

名 前

  • 白寿(幼名)
  • 源五郎(別名)
  • 出羽侍従(受領名)
  • 出羽殿(あだ名)
  • 虎将(あだ名)

官職・役職

  • 官位:従四位上、右京大夫、正四位、左衛門少将
  • 役職:羽州探題

親 族

  •  父 : 最上義守
  •  母 : 小野少将(永浦尼)
  • 正室 : 釈妙英(大崎義直の娘)
  • 継室 : 清水義氏の娘
  • 側室 : 天童御前(天童頼貞の娘)
  • 兄弟 : 中野義時(架空の人物の可能性あり)
  • 兄弟 : 長瀞義保(中野義時と同一人物か?)
  • 兄弟 : 楯岡光直
  • 兄弟 : 岩城親隆の正室(桂樹院)
  • 兄弟 : 義姫
  •  子 : 義康(人質として豊臣家へ)
  •  子 : 家親(12代当主)
  •  子 : 清水義親
  •  子 : 山野辺義忠
  •  子 : 上野山義直
  •  子 : 大山光隆
  •  子 : 竹姫(氏家光氏の正室)
  •  子 : 松尾姫(延沢光昌の正室)
  •  子 : 駒姫(豊臣秀次の側室)
  •  子 : 禧久姫(東根親宜の正室)

略 歴

1546年…最上家10代当主、最上義守の嫡男として生まれる
 
1558年…足利義輝より偏諱を賜り「義光」と名乗る(1560年かも)
 
1560年…寒河江氏の寒河城攻めにて初陣を飾る。
 
1563年…父・義守と共に上洛して将軍義輝に謁見する。
 
1564年…妹の義姫が伊達輝宗に嫁ぐ
 
1570年…父・義守との間で争いが起こるが家臣の仲裁で和解、義光が家督を継ぐ
 
1574年…再び父・義守との関係が険悪になると、義守を救援の名目で伊達輝宗が最上領に進攻さらに家臣達が輝宗に同調した。義光はこれを退け和議を結び伊達家からの独立を果たすと共に義守と和解した。
 
1577年…天童頼貞を盟主とする出羽国の国人連合(最上八楯)と戦うが決着が付かず。頼貞の娘を側室にし和睦する
 
1578年…上山満兼が伊達輝宗の支援を受け最上家に攻撃するが、これは妹・義姫の仲裁を受けて和議を結ぶ(柏木山の戦い)
 
1580年…上山満兼の重臣里見民部を調略し上山城を手中に収める
 
1581年…村山郡に兵を進め小国城を攻略さらに小野寺家重臣・鮭延秀綱を調略する。
 
1583年…大宝寺義氏の家臣東禅寺義長らを内応、謀反を起こさせ大宝寺義氏を自害させる。
 
1584年…白鳥長久を暗殺さらに、寒河江家や東根家を攻略し最上八楯を崩壊させ、最上郡全域を支配下に収めた
 
1586年…小野寺義道と有屋峠で戦う
 
1587年…大宝寺義興を攻め自害させる。
 
1588年…伊達政宗が大崎家を攻撃すると義光は大崎家に援軍を派遣しこれを撃退し和議を結んだ。(大崎合戦)
豊臣秀吉より羽州探題に任命される
上杉軍に庄内地方を奪われる(十五里ヶ原の戦い)
 
1589年…摺上原の戦いにて伊達政宗に援軍を送る
 
1590年…小田原征伐に参陣し、本領24万石の安堵を受ける
 
1591年…京都に上洛し従四位下侍従に補任される
徳川家康に次男・家親を小姓として出仕させる。
豊臣秀次に三女・駒姫を渋々嫁がす。また三男・義親を秀吉に仕えさせ最上家の安泰をはかった。
1592年…朝鮮出兵に備えて備前名護屋に滞陣する。
山形城の改築に取り組む
 
1595年…秀次に嫁いだ三女・駒姫が秀次の謀反の罪に連座させられ処刑される。
義光は必死に懇願するが願いが届かず、秀吉に対する憎悪が確定的になる。
 
1600年…慶長出羽合戦(関ヶ原合戦)が勃発。上杉軍の進攻を防ぎ、逆に追撃し上杉領を攻め取った。
計57万石の大名となる
 
1611年…従四位上、左近衛少将と出羽守に就任する、
 
1614年…死去(享年49歳)