安信、高信の兄弟。対斯波家のため、浅利城の守備を任せられた武将

南 長義みなみながよし

浅水城跡「秋田の中世をあるく」様から引用

  ポイント

  • 安信の兄弟であり、南部晴政の叔父
  • 浅水城城主
  • 屋裏の変では、信直側に付く

名 前

  • -資料無し-

官職・役職

  • 左衛門尉

親 族

略 歴

1507年…南部家第22第当主南部政康の三男として生まれる
 
1569年…鹿角郡に侵攻してきた安東愛季軍を撃退する
 
1583年…死去

「南」性の由来

南家は浅水城の城主を命じられていましたが、屋敷は三戸城の南側に構えていました。そのため、周囲からは「南殿」と称されており、それがそのまま「南」性になったと言われています。

屋裏の変

長義は晴政と信直の内紛「屋裏の変」では、信直側に付いています。そのため何度か晴政側の武将に城を攻撃されています。
晴政の亡き後は「北信愛」らと協力して南部信直の家督継承を推し進めます。