父と兄の内通を告発した忠義人

松田 直秀まつだ なおひで

松田城

居城:松田城からの眺め(神奈川県松田町)

概 要

北条家臣。松田憲秀の次男で北条氏直から寵愛されていた。小田原征伐では父と兄・笠原政尭の内応を告発した。戦後は高野山に上り、のち加賀前田家に仕え4千石を領した。

  ポイント

  • 松田憲秀の次男で松田家の家督を継いだ
  • 小田原征伐の際に、父・兄の内通を北条家に告発
  • 主家滅亡後は前田家に仕官する




誕生・死没

  • 誕生:不 明
  • 死没:不 明
  • 享年:不 明

名 前

  • 直憲(高野山後)

官 位

  • 左馬助

所 属

親 族

松田憲秀
兄弟 笠原政晴松田直英

松田家

藤原鎌足を先祖とした一族。13代目藤原公光の時に相模守となり相模国秦野に移り住み、14代・藤原経範の時に「波多野」に改姓した。その後、19代・義常が松田郷に住み、その子・有常は「松田」を称して松田次郎と名乗ったのが松田家の始まりとされている。

室町時代後半の松田家は、小田原城の大森氏や扇谷上杉氏と敵対していた。そんな中、北条早雲伊豆国より相模国へ侵攻してきた。当時の当主・松田頼秀は早雲の相模国侵攻に協力し以降、松田家は北条家の家臣となり、家中では北条家一族に次ぐ権力を持った。

北条氏直のお気に入り

直秀は北条氏直より寵愛されていたという記録が残っている。また、諱の直秀の「直」の字は主君・北条氏直から偏諱されたものと言われている。

松田家の家督相続

1589年5月には父の隠居により家督(松田家)を継承した。本来であれば、兄・政晴が松田家の家督を継ぐ立場であったが、政晴は笠原氏の家督を継承していたため、直秀が松田氏の家督を継承した。

小田原征伐後

小田原征伐の際に北条家が豊臣秀吉に降伏すると、直秀は氏直に従い高野山に入るが、氏直が死去した後は前田氏に4千石で登用された。

高野山にいた頃、名前を「直秀」から父の諱の一字をとって「直憲」と改名している。