藤井松平家3代目当主。関ケ原合戦後、土浦藩主となる

松平 信吉まつだいら のぶよし

概 要

徳川家臣。桜井松平家当主・松平忠吉の子。徳川家康の甥。子供に恵まれなかった松平信一の養子となり藤井松平家の家督を継ぐ。
関ケ原合戦後には土浦藩主となり水戸街道を城下に引き入れるなど積極的な領内整備を行った。

 ポイント

  • 松平忠吉の子。松平信一の養子となり藤井松平家を継ぐ
  • 土浦城→高崎城→篠山城主となる




誕生・死没

  • 誕生:1580年
  • 死没:1620年
  • 享年:41歳

名 前

  • 万千代(仮名)

官位・役職

  • 官位:従五位下・安房守、伊豆守

親 族

松平信吉
義父 松平信一
多劫姫
  松平信一の娘、四辻秀継娘
兄弟  信吉忠頼家広
  栄姫保科正貞、清元院
  貞松院、高運院、北条氏重(異父兄弟)
  久清、大久保康忠室、石川某室
  小栗忠政後室(養兄弟)
忠国、忠晴、忠秋
信治、季治、永寿院
   忠時、政時、娘(松平忠良正室)

略 歴


 
1580年 0歳  松平信吉の子として誕生
 
1582年 2歳  父・松平信吉が死去
松平信一の養子となる
 
1601年 21歳  土浦城4万石を領す
 
1603年 23歳  安房守に叙任
 
1617年 37歳  高崎城5万石に移封
 
1619年 39歳  篠山城に移されて伊豆守に転じる
 
1619年 41歳  死 去




藤井松平家

松平長親の五男・利長を祖とする松平氏の庶流。十八松平のひとつ

三河国碧海郡藤井(現在の愛知県安城市藤井町)を領したことから藤井松平家と称する。徳川家康からの信頼も厚かった。
父・松平信一は小牧・長久手の戦い、関ヶ原の戦いなどで活躍した。

誕生と幼少期

不遇な幼少時代

1580年、桜井松平家の血筋であった松平忠吉の長男として誕生した。
父・忠吉は桜井松平家の遺児・家広(忠吉の兄・忠正の子。信吉の異父兄にもあたる)が成人するまでの中継ぎをしていた。
しかし、その父も1582年には死亡している。さらに母もその後、保科正直と再婚しているため、不遇な少年時代を過ごした。

藤井松平家へ養子に

同じ松平氏一族である藤井松平家の松平信一が子供に恵まれなかったために、主君・徳川家康の甥にあたる信吉が養子に迎えられることになった。

家康の家臣として

藤井松平家の土浦藩主就任

関ヶ原の戦い後の1601年、信一は結城秀康の越前国移封に伴いその支城であった土浦城4万石に封じられ、続いて翌年には江戸崎藩の蘆名盛重が実家の佐竹氏に連座して出羽国角館城に移されたために、信吉は信一の名代として江戸崎藩の事後処理にあたった。
1603年には養父・信一が隠居し信吉が正式に藤井松平家3代目当主となり安房守叙任、と土浦藩主となり、土浦城を改築して水戸街道を城下に引き入れるなど領内整備を行いながら、並行して2度の大坂の陣にも嫡男の忠国と共に出陣している。

晩 年

度重なる転封によって、体調を崩し病死する

大阪夏の陣後、信吉は1617年に5万石をもって高崎城に転封、さらに1619年には篠山城に移されて伊豆守に転じる。こうした度重なる転封によって、元々病弱であった信吉は体調を崩し、篠山移封の翌年に京都の藩邸にて病死した。享年41。

その後の藤井松平家

その後、信吉の長男・忠国が山城守を世襲し、次男・忠晴が、伊賀守を世襲した。このため藤井松平家は2流に分かれることとなった。
以後、伊賀守家は老中を多数輩出している。