松平家6代目当主(安城松平家2代目当主)。家中をまとめることができず家臣達によって当主から降ろされる

松平 信忠まつだいら のぶただ

大樹寺内にある松平八代墓の信忠の墓

概 要

松平長親の子。松平家6代当主で安城松平家2代目当主。父の隠居により家督を継ぐが、器量が乏しく家臣の離反が相次いだため、家臣達によって早期に隠居させられ子・清康に家督を譲り隠居した。隠居後は清康を補佐した。

 ポイント

  • 松平長親の子で松平家6代当主
  • 器量が乏しく家督相続後直ぐに隠居させられる
  • 隠居後は清康を補佐した




誕生・死没

  • 誕生:1490年
  • 死没:1531年
  • 享年:41歳

名 前

  • 竹千代(幼名)
  • 太雲、祐泉(法号)

官 位・役 職

  • 官位:従五位下、越前守、左近蔵人佐

所 属

親 族

松平長親
月空浄雲大姉(松平氏?)
正室 岩倉殿正珊光仲(大河内満成の娘)
継室 水野忠政の姉
兄弟 信忠親盛信定
  義春利長
清康信孝康孝
久※徳川家康の乳母 (随念院・鈴木重直室)
東姫(大浜道場室) 、 矢作殿(島田某室)
瀬戸之大房(吉良持広の正室)

略 歴


 
1490年 0歳  松平長親の嫡男として誕生
 
1503年 13歳  父が隠居したため、家督を継ぐ
 
1506年 16歳  今川軍が松平領に侵攻
 
1523年 31歳  嫡男・清康に家督を譲り隠居
 
1531年 39歳  死没




家督相続まで

☆ 誕 生

 1490年、松平家5代当主・松平長親の嫡男として誕生する。
名は、三河の有力国人である三河吉良氏の吉良義信の偏諱を受けて信忠と名乗った。

☆ 父の隠居に伴い家督を相続する

 1503年8月頃、父・長親の隠居により家督を継いだと推定されるが、実権は長親が握っていたとされている。

今川軍の三河侵攻

★ 松平家は今川軍を撃退するがこの戦いで宗家である岩津松平家が滅亡する

 家督相続から3年後の1506年、駿河の今川氏親が三河への侵攻を開始した。
この侵攻により西三河の松平領も攻撃を受け、岩津松平家の岩津城が伊勢盛時(後の北条早雲)の率いる今川の大軍に包囲されたが、父・長親の活躍により松平軍は辛くも今川軍を撃退した。(永正三河の乱)
 しかし、この戦いの混乱のなか松平家の宗家である岩津松平家が滅亡し、安城松平家が宗家化していった。

この今川軍との戦いに信忠の確かな戦功や軍事的采配の記録は確認されていない。





当主剥奪

★ 力量不足により家臣からの信頼を得られず、信忠は隠居し家督を嫡男・清康に譲った

 父・長親の隠居により家督を継いだ信忠だったが、武将としての器量不足や強情な性格だったため、家臣からの信頼も得られず、松平一門衆や小侍までもが信忠を慕わず、城に出仕しない者まで多く現れた。

 そして、1523年、一門や家老・酒井忠尚の願いより信忠は家督を嫡男・清康へ譲り、隠居を決意した。

隠居後の生活

★ 出家し嫡男・清康を支える

隠居した信忠は三河国幡豆郡大浜郷称名寺(愛知県碧南市大浜地区築山町)に34歳にして隠居・出家した。
 その後は長命した父・長親とともに、まだ若い清康を支えた。