北条早雲の三男。駿河国東部の国人領主・葛山氏の養子となる

葛山(北条) 氏広かつらやま(ほうじょう) うじひろ

葛山城

居城:葛山城(全景)

  ポイント

  • 北条早雲の三男
  • 葛山氏の養子となる
  • 河東の乱では北条氏に味方

誕生・死没

  • 誕生:1487~1493年
  • 死没:1538年?1539年
  • 享年:?歳

名 前

  • 八郎(通称)

官 位

  • 中務少輔

親 族

北条早雲
葛山方の娘?
養父 葛山惟重?葛山春吉?
兄弟 北条氏綱(兄) 、 北条氏時(兄)
   北条幻庵(弟) 、 長松院殿(三浦氏員室)
養子 葛山氏元(葛山貞氏の実子)

略 歴


1532年 ?歳  「中務少輔」を称す
 
1537年 ?歳  「河東一乱」で氏綱側に味方する
 
1538年 ?歳  重病に陥る
死亡?
 
1539年 ?歳  史料での死亡が確認される

概 要

北条早雲の三男。駿河国東部の国人領主・葛山氏の養子となる。葛山氏は今川家に従属している形であったが北条氏と今川氏が争うと(河東一の乱)北条氏側に味方している。

出 生

氏広の出生には下記の2説がある。

いずれにせよ、北条氏の一族であり母方が葛山方の女だったため、葛山氏の養子になった可能性が高いといわれている。

葛山氏とは?

氏広が養子に入った『葛山氏』とは駿河国東部の国人領主で藤原伊周の子孫とされる駿河大森氏の庶流とされる一族で、鎌倉時代には御家人として登場している。

室町時代後期頃は伊豆・堀越公方・足利政友の傘下であったが、戦国時代に入り足利政友が死没すると、今川傘下にはいるが、北条家の伊豆・相模平定にも関わっている。
この時に葛山氏の娘(善修寺殿)が北条早雲の側室となり葛山氏広と同女ではないが北条幻庵も生まれている。

生 涯

1524年に家臣・関孫九郎に所領を与えているのが氏広が史料に出てくる初見である。この頃、葛山氏は今川氏に従属しており、氏広も駿府に屋敷を構え今川氏に出仕していた。

1532年には「中務少輔」を称した。氏広は今川家に属していたが1537年に北条氏と今川氏の争い「河東一乱」が勃発すると、氏広は北条氏側に付き、長兄・氏綱を支えた。

最 期

1538年9月、氏広は重病に陥ったため、鶴岡八幡宮から祈願のために大般若経を転読してもらっている。
翌年の1539年4月には死去が確認されるが、詳しい死亡時期は不明である。