「鬼の小十郎」の異名をとった若武者

片倉 重長かたくら しげなが

片倉重長

片倉景綱

  ポイント

  • 片倉景綱の嫡男
  • 大阪夏の陣で活躍し「鬼」と評された
  • 真田幸村の娘・梅を正室にする

誕生・死没

  • 誕生:1584年
  • 死没:1659年
  • 享年:76歳

同じ年の人物

  • 戸沢政盛、藤堂高清、田中忠政

名 前

  • 重綱(前名)
  • 小十郎(通称)
  • 鬼の小十郎(渾名)

所 属

  • 宮城県白石市の片倉家廟所

官職・役職

  • 不 明

親 族

  •  父 : 片倉景綱
  •  母 : 矢内氏
  • 正室 : 指月院・綾姫(針生盛直の娘)
  • 継室 : 阿梅真田信繁の娘)
  •  子 : 喜佐(松前安広室)
  • 養子 : 景長 (外孫、松前安広の子)

略 歴

1584年 1歳  片倉景綱の嫡男として誕生
 
1591年 8歳  元 服
京都に1599年まで滞留
 
1600年 17歳  関が原合戦の「白石城の戦い」で初陣を飾る
 
1614年 30歳  大阪夏の陣に参陣し戦功を挙げる
 
1626年 42歳  阿梅を継室に迎える
 
1659年 76歳  死 没
 

概 要

片倉景綱の嫡男。1600年の白石城の戦いで初陣を飾る。
病に伏していた父に代わり、政宗に従って大阪の夏の陣に出陣。後藤基次らを討ち取るなど活躍し、徳川家康から「鬼」と評された。この時に真田幸村の娘・梅を保護し、のちに妻とした。

出 生

1584年12月25日、出羽国置賜郡下長井荘宮村片倉館において、伊達家の家臣・片倉景綱の子として生まれる。
1591年、伊達成実を烏帽子親として元服した(この時の名乗りは重綱)。
同年、重長は主君・政宗や父・景綱とともに京都伏見に登り、1599年まで滞留し、その間に太閤・豊臣秀吉から御羽織を賜った。

初 陣

1600年7月、関ヶ原の戦いの白石城の戦いでは、亘理城の留守居役を命ぜられていたが、父とともに従軍し初陣を飾る。

1601年9月、主君・政宗の京都伏見御登の御供として、父とともに同行、1602年1月の豊臣秀頼や同年7月の小早川秀秋にそれぞれ拝謁し、主君・政宗とともに帰城した。

大阪夏の陣

1614年からの大坂の陣では、病中にあった父に代わって政宗に従い参陣し、敵将の後藤基次を討ち取るなどの功績を立て大いに名声を上げた。
父からは、一軍を預かる将として刃を交えることなどあるまじき行為として叱咤をうけたが、世間からは父に劣らぬ智勇兼備の名将として「鬼の小十郎」と称された。

継室「阿梅」

1615年10月14日、父の景綱が死去すると「片倉」の家督を継いだ。

重長の正室は江戸に人質として滞在しており、1626年7月に江戸屋敷にて死去した。
大坂の陣時の乱妨取りされ、重長の侍女となっていた阿梅は、真田信繁の三女であることが判明して側室となっていたが、これを継室とした。

最 期

1636年4月、主君・政宗が参勤交代により江戸に向かう途中、白石城に一泊し、養嗣子の景長とともに拝謁する。これが政宗との今生の別れとなったのであるが、この時、政宗は「国の久しいことを心がけ、よく取りはからってほしい」(政宗公御名語集)と重長に後事を託したという。
1651年、主君・伊達忠宗より仙台藩の家格中の「一家」の座を賜る。
1659年3月25日に死去、享年76。法名は一法元理真性院。死後、養子となった外孫の景長が家督を継いだ。

参考資料(引用元)

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