父・綱成に劣らず、武勇に優れていた北条家の猛将

北条 氏繁ほうじょう うじしげ

玉縄城

北条氏繁甲冑

概 要

北条家臣。北条氏綱の娘婿である北条綱成の嫡男。正室として北条氏康の娘を娶り、宗家との血縁を濃くした。 武勇にすぐれ北条氏康より「氏繁」の名を与えられ、岩槻城や小机城主を命じられ上杉家や里見家の侵攻に備え、上杉家とは互角の戦いをした。

  ポイント

  • 北条綱成の嫡男
  • 玉縄、岩槻城主を務め、上杉謙信や里見家の侵攻を抑えた
  • 氏康からの信頼厚く下総国方面の軍権を任された

誕生・死没

  • 誕生:1536年
  • 死没:1587年
  • 享年:73歳
  • 墓所:神奈川県鎌倉市の龍寶寺

名 前

  • 勝千代(幼名)
  • 常陸介(通称)
  • 左衛門大夫(通称)

官 位

  • 左衛門大夫、常陸介

所 属

親 族

北条綱成
大頂院(北条氏綱の娘)
正室  七曲殿北条氏康の娘)
兄弟 北条氏秀(弟) 、高源院殿(北条氏規室)
浄光院殿(遠山政景の兄・遠山隼人佐の正室)
北条氏舜北条氏勝
  北条氏成千葉直胤
  北条繁広 、 (上杉氏憲室)
  娘(杉原長房室)

略 歴


1536年 0歳  北条綱成の嫡男として誕生
 
1554年 18歳  加島の戦い(VS武田)で戦功を挙げる
 
1561年 25歳  玉縄城を上杉謙信の軍から守りぬく
 
1569年 33歳  信玄から玉縄城を守りぬく
 
1571年 35歳  父・綱成が隠居し家督を継ぐ
 
1578年 42歳  父に先立って死没

誕生から元服

1536年、北条氏の家臣・北条綱成(北条家との血のつながりは無い)の嫡男として誕生した。北条氏康の偏諱を受けて「康成」と名乗る(生涯の大半はこの字を名乗っている)。
正室には氏康の娘で康成の従姉妹にあたる七曲殿を正室に迎え、北条宗家との繋がりを深めた。

北条家での活躍

氏繁は父と同じく武勇に優れており、1554年加島の戦いでは松田憲秀笠原康勝とともに先鋒を務め武田家相手に戦功功を立てたという。
また、玉縄城主や上杉家最前線基地にあたる岩槻城主を任命され上杉謙信や里見家、武田信玄を相手にいずれの城も守り抜いた。特に、里見氏との第二次国府台合戦では父綱成や松田憲秀と共に奇襲をかけて里見軍を打ち破った。

氏繁は武勇だけではなく、白河結城家や蘆名家との外交交渉にも携わっている。このように軍事・外交に長けた氏繁は氏康からの信任も厚く、下総国方面の軍権を任された。

最 期

1571年頃に、父・綱成が隠居したのを受け「氏繁」に改名し家督を継いだが、しかし、1578年、父に先立って対佐竹氏の最前線、下総飯沼城中にて病死した。
跡を嫡男の氏舜が継いだ。