主家滅亡後は各地を渡り歩き関ヶ原合戦にも参陣した

大道寺 直次だいどうじ なおつぐ

概 要

北条家家臣。大道寺政繁の四男。主家滅亡後は遠山長右衛門と名乗り、黒田官兵衛、豊臣秀次、福島正則に仕え、関ヶ原合戦にも参陣した。福島家の改易後は徳川家に仕え、旧姓に復した。

  ポイント

  • 大道寺政繁の四男
  • 北条家滅亡後は黒田、豊臣、福島家に仕え関が原合戦に参陣
  • 福島家改易後は徳川家に仕える

誕生・死没

  • 誕生:1571年
  • 死没:1651年
  • 享年:81歳

名 前

  • 遠山長右衛門(北条家滅亡後)

官位・役職

  • 内蔵助

所 属

親 族

大道寺政繁
遠山綱景の娘
正室 高城胤辰の娘
兄弟 直繁 、 直重 、 弁誉
直次直英(養子)
舎人恒忠(養子)

略 歴


1571年 0歳  大道寺政繁の四男として誕生
 
1590年 19歳  小田原征伐
北条家滅亡
黒田家に仕える
 
1595年 24歳  豊臣秀次に仕えるが秀次事件のため浪人となる
福島正則に仕える
 
1560年 29歳  関が原合戦に参陣
 
1619年 48歳  福島正則が改易
浪人となる
 
不明   徳川家光に仕える
姓を「大道寺」に戻す
 
1651年 81歳  死 没

大道寺家

京都府綴喜郡宇治田原町の大導寺が発祥といわれている平氏(藤原氏とも)の流れを汲む一族で、北条家とは血の繋がりがあるとされている。
室町時代中期に大道寺重時(周勝の祖父)が従兄弟の伊勢盛時(後の北条早雲)らと伊豆国へ下向し、伊勢氏が戦国大名北条氏になるとその重臣として仕え、北条氏家中では「御由緒家」と呼ばれ、代々北条氏の宿老的役割を務め、主に河越城を支配していた一族。

小田原征伐後

1571年、北条家の宿老である大道寺政繁の四男として誕生する。
1590年に小田原征伐が勃発すると父・政繁が自刃し、北条氏が滅亡すると、母方の姓を名乗り、「遠山長右衛門」と改名して黒田如水の家臣となった。

関が原合戦後

黒田家の家臣となった直次だが、訳あって豊臣秀次の家臣となった。しかし、秀次が1595年の秀次事件で自刃したため、福島正則の家臣となった。1600年の「関が原の戦い」では正則の家臣として従軍して功を挙げた。

徳川家へ仕官

1619年、正則が広島城を無断修繕したことで改易されると直次は出奔ししばらくは浪人したが、黒田長政、京極忠高らの家臣を経て徳川家光の家臣となり1千石で幕臣となった。このとき、姓を大道寺に戻している。

その後、1651年に死没、享年81歳だった。

その後、尾張藩士の舎人恒忠の子を養子とし、この大道寺直数以降、子孫は幕臣として存続している。