兄・胤将が病死したため家督を継ぐ 馬加康胤の攻撃にあい自害する

千葉 胤直ちば たねなお

>胤宣が立て籠もった多古城

  ポイント

  • 千葉家18代当主
  • 16代当主千葉胤直の次男
  • 兄・千葉胤将が病死したため家督を継ぐ
  • 大叔父・馬加康胤に攻撃され自害する

誕生・死没

  • 誕生:1445年
  • 死没:1455年
  • 享年:10歳

名 前

  • 五郎(通称)

所 属

官職・役職

  • 官位:記録なし

親 族

  •  父  : 千葉胤直
  •  子  : 千葉胤将
  •  子  : 千葉胤宣

略 歴

1445年…千葉胤直の次男として誕生
 
1454年…兄の胤将が病死し家督を継ぐ
 
1455年…享徳の乱が勃発
成氏についた大叔父・馬加康胤、に多古城を攻撃され自害する

永享の乱

千葉氏第17代当主だった兄の胤将が享徳3年6月23日(1454年7月18日)に病死したため、父の後見の元、第18代当主となる。しかしこの時既に鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉憲忠・房顕の内紛に巻き込まれていた(享徳の乱)。

享徳4年/康正元年(1455年)、成氏についた重臣原胤房に千葉城を急襲され、父や叔父胤賢と共に千田荘に逃れ、父と叔父は志摩城に、胤宣は多古城に立て籠ったが上杉氏の援軍は無く、8月12日、原胤房に加担した大叔父馬加康胤の攻撃に耐え切れず多古城は陥落、胤宣は城の近くの阿弥陀堂で自刃した。
原胤房に攻められていた志摩城の父も、8月15日東禅寺に走り一族郎党と自刃して千葉氏宗家の嫡流は滅亡した。