千葉家22代当主。享徳の乱で足利公方側について活躍

千葉 孝胤ちば のりたね

概 要

  ポイント

  • 下総千葉氏5代目当主
  • 享徳の乱で太田道灌と争う
  • 足利公方と対立し所領の大半を失う

誕生・死没

  • 誕生:1542年
  • 死没:1622年
  • 享年:81歳

官位・役職

  • 右衛門大夫

所 属

親 族

千葉輔胤
勝胤

略 歴


?年 ?歳  千葉輔胤の次男として誕生
 
1471年 ?歳  千葉氏の家督を継ぐ
古河公方と共に堀越公方足利政知を討つべく、伊豆国三島へ進軍する
 
1472年 ?歳  古河城を奪還し足利成氏は古河に戻す
 
1473年 ?歳  長崎城(千葉兼流山市)を築城し本拠地を移す
 
1476年 ?歳  長尾景春の乱が勃発
 
1478年 ?歳  境根原合戦で太田道灌に大敗
 
1479年 ?歳  長崎城・臼井城を千葉自胤に奪われる
 
1482年 ?歳  室町幕府と足利公方が和議
 
1484年 ?歳  本佐倉城を築城
 
1492年 ?歳  父・輔胤が死没し出家




出生年

孝胤の出生年には諸説あり、1443年5月30日や1443年8月13日、1444年生まれともされる。

元服時の千葉家

孝胤が元服したときの関東は享徳の乱が勃発しており、室町幕府VS古河公方足利成氏の争いが関東各地で勃発していた。千葉家は成氏側に付き勢力拡大を図っていた。
そんな中、文明3年頃(1471年頃)、父・輔胤が出家したため、孝胤が22代当主として千葉家の家督を継いだ。

享徳の乱

伊豆国出兵

孝胤が家督を継いだ年、古河公方は伊豆の堀越公方を討伐するため、伊豆に兵を向けた孝胤もこれに従軍した。らの古河公方側は堀越公方足利政知を討つべく、伊豆国三島へ兵を進めた。
初めこそ兵力差で勝る古河公方が優勢であったが堀越公方は、山内上杉家の軍と合流し勢いを盛り返し形成は逆転、退却した孝胤らの軍勢は散々に叩かれ壊滅状態となった。

古河城攻防戦

1471年、足利政氏の伊豆進攻が失敗すると、山内上杉家は家宰・長尾景信が下野国足利庄を攻略し古河城が陥落した。この為成氏は行き場を失い孝胤の領内に留まることとなった。
しかし、翌年1472年2月に孝胤、結城氏広、那須資実らの援助を受けて古河城を奪還し成氏は古河に戻った。

長尾景春の乱

きっかけ

1476年、山内上杉家の家臣・長尾景春は家宰(筆頭家老)を叔父の長尾忠景に継承させたことに怒り、上杉顕定に背いて武州鉢形城で反乱の挙兵を挙げた。(長尾景春の乱)。

孝胤の動き

長尾景春の乱をきっかけに足利公方と山内上杉家および扇谷上杉家の和議が進められた。しかし、和議が整うと孝胤は千葉氏当主を自称できなくなり(和議の条件として千葉氏当主は武蔵千葉氏(千葉自胤)となった)、景春と共に和議に反対し、名目上は成氏を主君としながらも古河城への帰城は阻止する方針を固めた。
また、孝胤は防御を強化するため1473年には長崎城(千葉県流山市)を築城して本拠地を移している。

太田道灌・千葉自胤との戦い

室町幕府と古河公方・山内上杉家・扇谷上杉家の和議が整い、反抗勢力が景春と孝胤らのみとなり、孝胤は幕府が千葉氏当主と認めた千葉自胤(実胤の弟)の、太田道灌の支援を背景にした追討を受けることとなった。1478年には境根原合戦で千葉氏は大敗、長崎城を維持できなくなった孝胤は軍勢をまとめて退却し臼井城(現在の佐倉市臼井田)に籠城したが、1479年に臼井城は落城し、下総・上総の大半は自胤に制圧された。

その後

孝胤は落城の混乱にまぎれて行方をくらまし、父の拠点であった印東庄岩橋村に戻ったとされるが、近年では篠塚城(現在の佐倉市)が根拠地であるとする説が有力であり、なお同城を拠点して自胤と争ったと推定されている。

晩 年

出 家

享徳の乱が終結すると、孝胤は本佐倉城(現在の酒々井町)を築城して下総支配の根拠とした。1492年、父が亡くなった為出家、後を子の勝胤が継いだが、実権は孝胤が握っていたとされている。
文亀から永正年間にかけて、古河公方足利政氏が千葉氏を攻撃したが、勝胤とともに本佐倉城をよく守って和議に持ち込んだ(篠塚陣)。

死没年

1505年9月26日、孫の昌胤の元服前に亡くなったとされるが、それから16年後の1521年9月19日に没したともされ、没年は定かではない。

逸 話

名前

篠塚陣での戦いの和議の席において、古河公方の使者が千葉氏の実権を握っていた孝胤に対して、勝胤(孝胤の嫡男)に古河公方から一字拝領を受けることを勧めた。これに対して孝胤は千葉氏の当主は代々千葉妙見宮で元服して「くじ」で一字を定めるので不要と答えた。それならば、次男に一字拝領をと勧められたが、これも「次男は嫡男から一字拝領を受けるもの」だと答えて、断ったという。